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OCCELLIの仕事場

さてさて、冬はデルタに乗る機会もほとんどないので、このようなネタばかりですね。冬の高速道路とかって融雪剤がすごくて、とくに今週のように雨が降ったときは最悪ですわ。水に溶けた剤がボディーの隅々まで浸透してしまうのであります。さすがに13年選手のイタ車には厳しいので乗りません。まぁ、あえてデルタに乗る必要もないですし・・・。

さて、まずはOSSELLIってなんて読むんだ?という素朴な疑問。オセッリが正しいらしい。オリオールのコ・ドライバーを勤めた女房役である。コ・ドライバーの給料は、ドライバーであるオリオールの給料から支払われていたらしいので、89年から92年までは彼にとっても黄金時代だったかもしれない・・・いくら貰っていたかは知らないですけどね。そんな彼の仕事場であります。

しかし、カーボンのフロア材がなんともいい感じです。こういうのを市販車のカーペットの上にも置けるやつで発売されるとありがたいですな。ラリコン下の物入れはワシも真似をさせてもらいました。もっと大きいサイズですがね。
デルタ | 投稿者 kimkim 21:10 | コメント(4)| トラックバック(0)

ワークスデルタから学ぶこと(3)

ワークスデルタに学ぶこと第3弾はエンジンルームの中でも特徴的な大型インタークーラーを装着し、後方へオフセットするにあたって必要になるレアな変更写真です。まぁ、知っている方も多いと思いますが・・・

上の写真は我がデルタのもので、下の写真がオリオールが92年にモンテカルロで走ったワークスデルタのものです。ノーマルICでも同じようなことをしようとトライされた方もいますが、結局はクラッチマスターシリンダーが邪魔になって断念せざるをえないことになります。


2枚の写真を見比べていただければ一目瞭然ですが、作動させているアームの向きが反対です。(黄色の点線部分)クラッチマスター本体の形状も小型化されていますかね? 市販車ですと、このアームの部分がインタークーラーに干渉してしまうわけです。たぶん、加工すれば同じことができるはずですので、チャレンジしてみたい方は参考にしてください。

あ・・・もちろんアッパー&ロワーホースはワンオフで作成しないとダメですよ。
デルタ | 投稿者 kimkim 17:58 | コメント(2)| トラックバック(0)

ワークスデルタから学ぶこと(2)

前回はインナーフェンダーについて書きましたが、今回はリアセクションの部分についてです。写真のとおり、ワークスデルタのサスペンションアーム類は市販車と比べ物にならないくらい太いのですが、中でも市販車には装着されていないアームがあります。(矢印)エキゾーストパイプもストレートで、明らかに抜けがよさそうですよね~

ガソリンタンクをトランク内に設置したからこそできることなので、市販車では不可能です。ちなみにOMPからパーツとして販売していました(過去形なのは現在は確認できないため)

いずれはガソリンタンクを安全タンクにして・・・などと目論んでいたワシも購入をしたのですが、未だタンクの移設はできていません。
転がしておくのももったいないので、SPARCOのタワーバーと組み合わせてリアの補強バーとしています。スパルコのタワーバーって貧弱で、ハードな走りをするとストラットアッパーのところの取り付け板がせりあがってきちゃうんですよ!知ってました? ほとんど役立たずです(^ ^; 

まぁ、それほど歪んでしまうデルタのリア周りですから、こんなことをするとフロアをぶち抜いてしまうんじゃないかということで、補強板をかませています。サイズもぴったりなので偶然できたことですが・・・。本当はこの部分を全部板で塞いでしまいたいのですがね。
デルタ | 投稿者 kimkim 23:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

イタリアの思い出

11年前のイタリア旅行の宿泊先から持ち帰ったバスグッズ。ローマ・フィレンツェ・アッシジ・ミラノ・ベニス。すでに怪しい化学変化を起こしているものもあります。(^ ^; 写真中央にあるコインはリラです。懐かしいですな。すさまじい量の札束を握り締めて買い物をしていた記憶がよみがえります。

さて、お次は京都にお住まいのデルタ乗りさんが新婚旅行へ行ったときにお願いして持ち帰っていただいたコルソマルケ37番地の石ころであります。我が家の家宝となっておりまして、久しぶりに手にとって眺めました。箱も自作してくださったんですよね。感謝してます。

ああ、イタリアへ行きたいなぁ、、、。
車ネタ | 投稿者 kimkim 20:38 | コメント(3)| トラックバック(0)

表紙顔

以前書いたとおり、やっぱりワークスデルタのフロントバンパーはちょこっと膨らませてあった、、、。その証拠写真を発見です。ちなみに市販のデルタでもバンパー取り付けボルトにスペーサーを使えば同じことができそうですぞ。

アイラブインテグラーレの表紙顔に近づけてみたいと思ったら明日のお休みにやってみてください。お約束ですが「やってみたらバンパー割れちゃったよ!どうしてくれる・・・(怒)」みたいな苦情は一切受け付けられませんしお相手できませんので、あしからず。

■追記
さっそくバンパーを外して試みましたが、バンパーばかりがはみ出してカッコ悪いです。ワークスデルタはフェンダーも叩いて膨らませていると思われます。
デルタ | 投稿者 kimkim 03:48 | コメント(6)| トラックバック(0)

さーて!

昨日とは一転して寒い一日でした。今日はガレージで4月から始まるデルタの走行準備を少しばかり・・・。ぼちぼち1ヶ月くらい動かしていないので、始動に苦労するかと思いきや、あっさり目覚めたので拍子抜けです。
まぁ、寒さにはワシよりもシビアなところがあるので、寒い寒いといえども暖かくなってきている証拠でしょう。

こんなことをブログで書いていいのかどうかなんですが、今日はあちこちのサーキットでも厳しくなっている騒音規制の対策ということで、サイレンサーを自作しておりました。手を傷だらけにした甲斐もあり、完成には至りませんでしたがなんとかなりそうです。

さて、メールでご質問をいただくことが多いライトポッドについてですが、もちろん点灯します。1個90Wのスポットですからスイッチを入れると電圧計が大変なことになりますけどね。いちおうオルタネーターを容量増ししてあるので走行していれば支障はありません。点灯するとメチャクチャ熱を持つので、そちらのほうが心配です。公道ではもちろん点けたりしません。念のため・・・

デルタ | 投稿者 kimkim 23:48 | コメント(0)| トラックバック(0)

1994年といえば・・・

先日DTMの話を書いていたら、1994年のBTCCのことを思い出した。

いま思えばボルボさんは面白いことをしてくれた時代だったですね。1994年のBTCC(イギリスツーリングカー選手権)に850エステートレーシングで参戦してました。まぁ、成績は振るわずでしたがね。数年前にスウェーデンへ行ったときに、ボルボミュージアムで撮影した写真であります。フライングブリック(空飛ぶレンガ)はインターテックで登場した240ターボに付けられた呼称だったけど、この850エステートもそう呼ばれていましたよね? たぶん後ろにちょこっと写っているのが240ターボです。

ボルボの話しついでに、当日ミュージアムを案内してくれた爺様が話してくれたんだが、VOLVOというのはもともとベアリングメーカーであるSKFの商品名だったそうだ。意味は「転がり続ける」みたいなもんだ。英国の有名なロックグループ、ローリングストーンズの名前の由来と同じですな。まぁ、このへんは後で調べて知ったのだが、SKFがVOLVOの自動車製造に深く関与していた歴史を知れば不思議な話ではない。今はフォードだけど・・・。ワシのデルタにもSKFのスポンサーロゴが貼ってあるけど、本当はボルボに貼るとちょびっとエンスーっぽいかな(^ ^;

その爺様が話していた面白いネタがもうひとつ。昔のボルボのエンブレムは写真のような丸いやつがグリルに止められていたらしいのだが、あまりにも振動でポロポロ落ちてしまうので、今のようなグリルの上下を繋ぐような形になったそうだ。そう言われてみれば、ワシらがサーキットで灯火類に施したマスキングテープみたいで妙に納得できる。(^ ^; 写真は1965年ケニアラリーで優勝したPV544である。なんとも味のある形ですよね、、、。


車ネタ | 投稿者 kimkim 21:44 | コメント(0)| トラックバック(0)

1994年 横浜輸入車ショーにて

いやはや、今日は会議が長かった。
先日はアルファロメオ関連からDTMの話が少しだけ出たが、1994年の横浜輸入車ショー初日の出来事を思い出した。毎度のことながらDTMの話まで長くなりますがご了承ください。はじめに書いておきますが、赤いブレザーはワシのセンスではないです(^ ^; 以後、読んでいただければ、わかる方にはわかりますが・・・。

当時住んでいたマンションは、玄関を開けると首都高速4号線が目の前を通っている都会的?なところだった。その日はいつもと違う雰囲気で目が覚めた。普段なら騒々しい通勤ラッシュの騒音が聞こえないのである。朝から静かな都会は不気味であった。
玄関に向かいかけて嫌な予感がした。「玄関を開けるとそこは雪国だった」と、川端康成っぽく風流な気分に浸っている場合ではない。 今日は横浜輸入車ショーで仕事なのだから・・・。あたり一面真っ白である。

入社3年目のワシは焦った。前日に仕上がった大切な展示車両の諸元表を持っていかなければならないからだ。それも紙っぺらではなく、電車では運べないくらいのショー会場で組み立てる大きな物体だ。9時集合だったので、たぶん起きたのは7時ごろ。普通ならシャワーでも浴びて環八をデルタでビュイーンと楽勝で間に合う時間だが、雪ともなれば勝手が違う。ましてや都内には久しぶりの大雪であった・・・。前日に天気予報を見なかったのか、はたまた予報と外れていたのかについてはもはや記憶が定かではない。

交通情報を聞くまもなく慌てて支度をして、デルタの待つ駐車場へ向かった。すでに荷物は後部席を倒したデルタに収められていたが、タイヤがノーマルなのである。それでも道路はかろうじて黒い。なんとかなるだろうと若気の至りからか、はたまた遅刻して先輩たちに怒られるのが怖かったのか、暖機運転もそこそこにノーマルタイヤでデルタを走らせて、東名高速東京インターまでは順調だったけど、その先が大渋滞。第3京浜にたどり着くころには道路も真っ白。しかも港北ICから先は通行止めであった。んで、ワシの頭も真っ白。

少しでも時間を稼ぎたかったのでとりあえず第3京浜に載ったのはいいが、ポルシェは横になってるし、あちこちに車は乗り捨ててあるという大変な事態になっていた。港北ICで降りると、さらに悲惨な状況だった。緊張はクライマックスだ!

「パシフィコまで無事にたどり着けるのだろうか・・・」そんな不安もあったが、ここまできたら走るしかない。そんなこんなでノーマルタイヤのメルセデスがズルズルと落ちて来る新横浜の陸橋を、4駆の強みを見せつけつつクリアーし、東神奈川を抜けてなんとかパシフィコ横浜にたどり着いたのは11時だった。会場に入ると来場者はほとんどいない。こんな雪の日に当たり前だろう。さっさと諸元表を組み立て、来場者のほとんど居ない会場を探索した。


さて、長い長い前置きだったが、この写真はそのときのワンショットである。1992年のDTMでKlaus Ludwig(クラウス・ルドウィック)が宿敵ワークスBMWやAUDIを抑え、チャンピオンになった記念すべき車だ。1994年当時はシュナイダーやラリーニのほうが有名だったが・・・。

この会社に籍を置き、関西に住むジャイアンツファンのようなものだったが、デルタをWRC6連覇に導いたアバルトワークスから多くの技術者が移籍していたアルファコルセ155 V6 TIのファンだった。 しかし、この車のオーラには勝てるはずもなく、六本木のクラブのソファーに座り込むかのごとく乗り込んだ。今でこそオートバックスでも売っていて、我がデルタにも装着されているが、当時はステアリングを外してから乗り込むクイックリリースの儀式にさえ感動していた。 写真のワシはこれから行うであろうデルタの室内モディファイをどのようにするか、この車から学び取ろうとセンターパネルを目に焼き付けているのだと思う。 結局、この日はたいした来場者もなく、充実した試乗会のようであった。 ちなみに、ショー会場にデルタが置かれているのを見たのはこれが最後であった。もちろん、カタログを貰いましたよ~
車ネタ | 投稿者 kimkim 02:29 | コメント(4)| トラックバック(0)

ENZOがぁ~!


昨日だか一昨日だろうか・・・カリフォルニアでENZOが大クラッシュした模様です。ああああ・・・もったいない。
車ネタ | 投稿者 kimkim 13:25 | コメント(0)| トラックバック(0)

もしものお話

VW-R32である。今月の25日に発売だそうだ。詳しいニュースはホビダスさんのほうで読んでください。しかし、センター出しデュアルマフラーがカッコイイ!

デルタ納車の日シリーズでも書いたが、デルタを購入する前に検討していたのはVW-GTIだった。もしもデルタが今でも生産されていたら、ワシは迷わずにデルタを購入していただろうか?・・・そんなことが一瞬頭をよぎる。
ワシはデルタの去り際の美が好きなんだと思う。まぁ、EVOII・ジアラ・コレッチと3回も騙されたことはこの際だから水に流すとして、今後もデルタがWRCで活躍し、モデルチェンジがなされていたら・・・。このページも存在しなかっただろうし、今はどんな車に乗っているのか想像もつかない。

「去り際」とはだいぶ美化しているが、悪く言えば日本車勢に敵わなくなったと勝ち逃げである。まぁいずれにしてもモデルとしてのδは存在したが、ワシの中でデルタの存在はこの形で終わっていた。(δのオーナーさんごめんなさい)95年で生産が終わり、オーナーとしての本心は「次のモデルが出ないでくれ!」だった。WRCから撤退したのだから、ホモロゲーションモデルが発売されることは皆無に等しかったが、それでも本心はそんな感じだった。これほど情熱を注げる車に「あそこが違う!ここがすばらしい!」といったような、新型モデルと比較するようなことをしたくなかった。

ちなみに想像で物事を書いてしまうが、HFターボ・HF4WDのオーナーさんは「デルタ伝説創設の車」として、8Vと16Vのオーナーさんは「デルタが最も強かった時代のデルタ」という強い意志を持っておられる方が多いかな? ちなみにワシはEVOIオーナーだから「WRC最後のデルタ」という遠い昔の思い出に浸っている。EVOIIに関しては全部のいいとこどりをしていて、こ憎たらしいので書かない(爆)

半分冗談みたいな話だが、それぞれのモデルのオーナーは絶妙な関係で「デルタ」というひとくくりの枠で仲良くやっている。レースなんかをしていて、EVOより16Vのほうが速かったりすると心の底から凄い!と喜べる。HF4WDが登場すると敬意を表したくなる。そんな心境だ。

さて、そんなワシでも一度だけ心が揺れた車があった。アルファロメオ155TIZである。本家サイトの主役がこいつに替わっていた可能性のある車である。ザガートのボディーを持つこのアルファロメオを、葉山にあったディーラーまで嫁と観にいったのである。もちろん、べらぼうに高かった価格に断念したことは言うまでもないが、ちょっとデルタの生産中止が伸びていればわからなかったと思う。DTMを走る155はカッコよかったからなぁ~

まぁ、そうなる前にジアラかコレッチを買っていたと思いますけどね。
デルタ | 投稿者 kimkim 01:58 | コメント(8)| トラックバック(0)

ワークスデルタから学ぶこと

写真は92'アクロポリスを走ったワークスデルタのタイヤハウス内である。とある本物のワークスデルタを所有する方からいただいた130枚のうちの1枚であるが、当然のごとく市販車に装着されているインナーフェンダーなどは無い。なぜこの場所にわざわざ網を貼っているのかはデルタオーナーの方ならすぐにおわかりいただけると思う。オルタネータやらプーリーやら、センサー類があるからだ。

車高を下げたり、サーキットを走ったりすると、あっという間にインナーフェンダーはタイヤで擦れて穴が開く。最近は外してしまっているデルタも多いが、大事な部分なのでこういうモディファイも必要ではないかということで紹介しときます。

■追記
インナーフェンダーなど無い・・・ということを記述したが、正確にはワークスデルタも部分的にはインナーカバーを装着している。写真のものは塗装を施しているようだが、おそらくカーボン製なはずだ。1995年ごろ横浜の某ショップにてそのパーツを拝見した覚えがある。

それにしてもストラットアッパーに繋がっているであろう補強バーには圧巻される。このようにワークスデルタは市販車とは全く別物なのである。リア周りに至ってはガソリンタンクがトランク内に移設されたこともあり、見慣れたデルタの下周りとはだいぶ異なる。いずれ憧れのABARTHの刻印がなされた各部の写真についても順を追って紹介したいと思う。
デルタ | 投稿者 kimkim 17:29 | コメント(4)| トラックバック(0)

われ5歳を振り返り思う・・・

ブログを書きはじめて記憶をたどる旅に出ているような気がする。せっかくなので13年前の記憶から、悪乗りしてさらに35年前の記憶まで遡る。これが外車に対するワシの初めてのインプレッションだ。

はじめに書いておくがこの当時のワシには前歯が無い。神社の階段で転んで前歯を4本ともなくしてしまった。これは親父が帽子を深く被せすぎて、前が見えなくなって転んだのである。その顛末のあと、母方の祖母の家で親父がしこたま叱られていたのをよく覚えている。

さて、19年前に亡くなった祖父が運転していた縦目のメルセデスである。モデル名もわからないし当時5万円で購入したと言っていたが定かではない。ただ、それを裏付けるかのように、このメルセデスは数ヶ月で廃車になった。それはよく覚えている。とにかく前には乗るなと言われた。なぜならフロアが腐っていたからだ。

幼稚園の送り迎えによく来てもらったが、周囲の人には何処のお坊ちゃま?と思われていたらしい・・・5万円のベンツなのに。色も黒だったから、パッと見た感じはそう思われるただろう。印象に残っていることは、とにかくデカイ車だったということ。内装はグレーであったが、たぶんシートとかもボロボロだったのだろう。全てのシートに真っ白なカバーが取り付けられていた。

戦争で左腕を負傷して曲がってしまっていた爺さんは、クーラーが好きではなかったようで、冷えると痛んだらしい。それでもワシが暑い!というとクーラーをつけてくれた。これがまた恐ろしいほどよく効くので、まさに冷蔵庫のようだった。

このころ「ベンツ」という単語をはじめて覚えたに違いない。ちなみに爺様はベンツの後に水色のスバル360を乗り回していたが、子供心にあの車の良さがわかるはずも無く、ビニールのチープなシートに隠れるように乗っていた。子供が言うカッコいい車とは、大きさと色に影響されるのも、いまでは理解できる。もちろん、いま手元にスバル360があれば、間違いなくブログネタとして毎日乗り回すだろう。

そういえばこの話は数年前にランチア・デドラを5万円で買ったときに思い出した話だった。

車ネタ | 投稿者 kimkim 20:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

ニューヨークの250LM

ブログを書き始めてから、当時のことを本当にいろいろ思い出す。

ホビダスのBLOGでニ玄社さんの話を書くのは心苦しいが、どうしても忘れられない番組があった。車の乗り方についてはかなり影響を受けた番組なのである。記憶が定かではないが、松任谷さんがF-40と959の乗り比べをして、すさまじい横Gに「僕もう耐えられないなぁ・・・」などと体当たりレポートをしていた数週前後だったと思う。

岡田さんという年配の方だったが、マンハッタンで粋なカーライフを送っておられる方の話だった。カーライフなどと軽々しいものではなかったかもしれない・・・2週にわたったその番組を見て、感動のあまり涙を流した覚えがある。

250LMといえば庶民にとっては年末ジャンボでも当たれば買える車だが、たとえ手に入れたとしても普段の足のように乗り回せるだろうか? 番組の中で氏の250LMが紹介されたが、あちこちが傷だらけであった。これまた記憶が薄れつつあるのだが、たぶんリアカウルはご自分で修理した痕跡がくっきりと浮き出るくらい。失礼な言い方をすれば「いいかげん」な補修であった。でもそれがやたらと粋で、かっこよかったんですよ。



ワシにとっては夢のまた夢のような250LMを粋に乗り回し「車はねぇ、乗っていなきゃ駄目なんだよ・・・」みたいな話を淡々と語る氏の言葉に心を打たれた。ワシも絶対にこういう車趣味人になろう!と誓った。数年後に、氏は他界されたと風の噂に聞いたのですが、ワシの心の中には永遠に残っている。

■これを書きながら「ニューヨーク・250LM」で検索をしたら、少しだけ画像が観られるサイト発見した。再放送されていたんですね・・・見られなくて残念。映像から補修していたのは右前フェンダーだとわかりましたが、あえて本文は修正しないことにした。
車ネタ | 投稿者 kimkim 15:51 | コメント(5)| トラックバック(0)

本のこと

くだらないことをツラツラと書いた「デルタ納車の日」でしたが、当時に読んだ書籍を紹介することを忘れていた。まだまだあるんだけど代表的なものを少しばかり。まず、イタリアへ行く前に読んだのが松本葉さんの著書である「愛しのティーナ」と「伊太利のコイビト」である。我が愛犬ティーナの名前はこの著書からいただいた。FIAT500のイメージからすると小型犬につけるべき名前だろうが、我が家のティーナは体重40kgの大型犬だ。気の小ささは名前のとおりだが・・・。


そして、デルタオーナーには永遠のバイブルである「アイラブインテグラーレ」。イタリア新婚旅行にまで持っていった本である。今となっては入手困難になってしまったワークスパーツの紹介が多い。デルタのモディファイを行ううえで欠かせない本であった。表紙の写真からでも市販車と違う部分が何箇所も発見できる。もちろんルーフベンチレーターなどの専用パーツを含めての話だが、たとえばフロントバンパーサイドの部分は、明らかに膨らませてある。この角度でスポンサーステッカーはこのように見えない。ほぼ同じ角度で撮影されたわがWebの表紙を見ていただければおわかりいただけると思う。もうひとつは未だに一度も実物を見たことがないライトをガードする格子状のパーツが装着され、同径に見えるライトが実は外側が大きく、ライト枠の奥に入り込んでいるんだとか、当時はこの表紙の話だけでも一晩を明かせたものである(笑)

ちなみにその他にはルーフベンチレーターが装着されている、ワイパーが16Vまでのもの、ミラーがカーボン製、フロントバンパーに埋め込まれた牽引用のフック、バンパーの縦格子がボディーと同色、フォグランプがブレーキダクトに、アンダーガード装着、HFマークがグリルに無い。

とにかく1990年代はデルタに関する雑誌とイタリア関係の書籍を買いまくった。CINZANOのほうが美味いとわかっていても、無理をしてMARTINIを飲んでいた時代でした。
車ネタ | 投稿者 kimkim 01:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(完)

レインボーブリッジからどれくらい走っただろうか・・・おそらく満タンにしたガソリンの半分は使っていたと思う。有頂天ドライブをまだまだ続けたい気持ちもあったが、マンションに帰ってじっくり取扱説明書を読んでみたかったし、ボンネットを開けてみたり、デルタの隅々を探求してみることにした。

そうそう、高井戸に借りていたマンションは8畳ワンルームで12万円。これに駐車場が2万5千円。しかもマンションから歩いて20分もかかる場所で、もちろん屋根なんか無い。デルタの支払いが月々8万円だったから、給料のほとんどは右から左へ流れるだけ。売ったらそれなりの報酬が得られるポイント制度があったため、この時代のワシは、とにかくよく働いた(笑) 年間の出張は軽く100日を超え、地方営業が多かった。東北6県は今でも地図無しで走れるだろうなぁ。5日スパンの出張が多く、デルタに乗りたいがために7時間をかけてわざわざ八戸から帰ってきたこともあった。



さて、有頂天ドライブから月極駐車場に戻ったはいいが、当時は10円パンチと呼ばれる悪戯が多かった。それに都内の駐車場は、できるだけ多くの台数を収容しようと隣との間隔はかなり狭い。デルタの美しいフェンダーにエクボを付けられないかと心配で仕方がない。
おもむろに取扱説明書を取り出してデルタの中で広げたときに、隣にいた今の嫁はしばらくワシが車内にとどまることを悟ったのか、一人でマンションへ帰っていった。

本当にじっくりと、これほど集中して取扱説明書を読んだのは後にも先にもこれ一度だけだっただろう。確か「ブレーキを踏んだままエンジンをかけると、何かの警告灯が点灯したままになる場合があります。」というような注意書きを読んで、そんなこと取扱説明書に書いて良いのか? と独りで大爆笑した覚えがある。興味のある方は読み返して確認してみてください。

ということで、新車からぼんぼりのように暗かったデルタの室内灯のもとで、取扱説明書を読みあさり、ボンネットを開けては懐中電灯でマレリーのロゴを見つけては喜んだりして、気がついたときには駐車場で朝を迎えていた。これが嬉しすぎて車中泊をしてしまったデルタ納車の日の全様である。(完)
デルタ | 投稿者 kimkim 18:52 | コメント(1)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(6)

そんなこんなでいよいよ高井戸までデルタを走らせることとなる。今でこそ何気なく走らせているが、低速トルクの細いエンジンに加えて4駆というのは、なんともスタートのクラッチワークが微妙なのであった。案の定、エンストの連発。まぁ、そのうちに慣れるだろうと思った。

コースはR20と中央高速の選択肢。デルタの加速を体感したかったので高速を選びたかったが、その前にガソリンを入れる儀式。1993年当時は都内といえどもEVOモデルのデルタなんて滅多に観ることがなかった。ガソリンスタンドに入ると、車が好きそうなお兄さんたちが寄ってきて「いいなぁ~」と言われた。これから支払いが続くローンのことも忘れてニンマリする時代がしばらくつづく。

さて、ガソリンを満タンにして国立府中インターから高速に乗り、4500rpmまで加速してみた。それまで乗っていたFC3Sは数ヶ月も前に下取りに出してしまっていたから、ターボ車の加速を忘れかけていたワシには強烈な加速だった。無駄と思えるほどのパワー競争が激しかった当時は、チューニングショップやらあちこちにシャシダイナモがあって、600馬力を超えるR32なんかがゴロゴロ登場していた。ワシのFC3Sは、確か小金井市にあったBMというショップで計測したときに260馬力を発生するライトチューンを施していたが、デルタの古典的なドッカンターボは、速さの疑似を演出するのが上手だった。同時にデルタ特有のバランサーシャフトを駆動させる「ヒュイーン」という音が新鮮であった。

「しかし、暗いメーターパネルだね」と話しながら、結局は永福を通り過ぎ、8月26日に開通したばかりのレインボーブリッジへ向かった。ちなみにこの時代のカーグッズの流行りモノはCDチェンジャーと浸透しはじめたナビゲーションシステム。しかも車速センサーなどの機能が無いGPSオンリーの代物だった。


注)1993年当時の写真に一番近い画像だが、この写真は1998年に初めて参加した奥多摩でのミーティング時のもの。これ以前はデジカメも持っていなかったのでアナログな画像しか残っていない・・・。純正15インチホイールが懐かしい。まさか今のような状態になるとは思ってもいなかった時代である。■写真提供 by Acha

しかし若いなぁ~・・・服のセンスも悪いなぁ~(苦笑)
デルタ | 投稿者 kimkim 17:47 | コメント(0)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(5)

本当は3編くらいで終わらせようと思っていたが、早くも5編である。書いているうちにいろいろなことを思い出すから、タイトルから外れた話が多くなってしまってます。

さて、デルタといえばインターネットの普及とともに、さまざまなクラブやメーリングリストが立ち上がったことで有名だ。まさにインターネット普及時代を象徴するような活発さだった。前編で書いたとおり、謎が多い車のわりに情報量が少なかった。そんな時代にいち早く16Vを購入していて、Webページを運営していた方が登場する。いや、登場するというのは正しくないかな、、、探し当てたという表現が適切だろう。正確にはMG-Bと2CVも当時は所有していて、2CVの方面でのほうが有名だったのかもしれない。

Min^2氏というハンドルネームをご存知だろうか? ワシにとっては永遠の師匠である。デルタのことに関する情報からWebのデザイン、CGIの設置まで、本当にいろいろなことを伝授していただいた。今もワシのWebに置いているチャットと、デルタオーナーズマップは師が残してくださった産物だ。言葉を飾らない氏は誤解を受けたりして、ネット上では波乱を生んだこともあったが、デルタを売却してネット上から去るまで、本当にお世話になった。1998年の事故をきっかけにB'sガレージさんへ出入りをするようになり、氏と初めて顔をあわせたが、毎日ネットで書き込みをしていたので始めて会った気がしなかったのを良く覚えている。そうそう、2CVを求めて豊橋まで氏のドライブする2CVで行ったこともあった。



納車の話からますます遠ざかるばかりだが、時をほぼ同じくしてDML(デルタメーリングリスト)というものが立ち上がっていた。今でもLDMLという名前でMLが残っているが、当時は多いときで1日で100通を超える投稿があった。同じ車なのに「個体差」というものがある車なんだということを認識した時期でもあった。いやはや毎日が楽しくてしかたがなかった時代でした。この時代に多くの時間をともに過ごしたB'sガレージ6人衆の話はいずれ書くことにして、そろそろ納車のお話に戻りましょう。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 18:04 | コメント(2)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(4)

さて、そんなイタリアンジョブの洗礼を受け、担当営業マンのいない納車であったが、それはそれで良かった。今で言う萌え系の方たちに勝るとも劣らない怪しい行為が思う存分できたからだ。ステアリングに頬ずりし、ひたすらシートのアルカンタラ(人工革皮)をなでてみたりした。おそらく独り言とはいえない、明らかにデルタに語りかける行為をしていた。

ファーストコンタクトの興奮が落ち着くまで1時間以上が経過していたと思う。何度も室内と外を行ったり来たりしているうちに、ふと何かが違うことに気がついた。今でもそう思うが、デルタは左斜め前か左斜め後ろから見た姿がブリスターフェンダーのラインがもっとも強調されて美しい。右斜めからとは何が違うのか?
それは当時としては珍しかった丸型のフューエルキャップが視界に入らないからだ。EVOIのそれはダミーみたいなものだったが、コンペティションな雰囲気を演出するアイテムだった。EVOIIからはアルミリングに変わり、いっそうコンペティションな雰囲気をかもし出す。それがまたいっそう憎たらしかった(笑)

違ったのはそんなことではなく顔つきだった。D氏からもらったカタログは写真のものであったが、舞い上がった頭でカタログと実車を見比べて、この写真と納められたデルタの何が違うのかに気づくまで、相当の時間が経過した。デルタといえばWRCを走るワークスデルタのイメージがいつも頭にあったことが、余計に混乱を招いた。




答えはこれであった。そう、ライトだ! 本国仕様のライトは外側と内側が同径だが、ディーラーが売る日本仕様は規制緩和前の登録時の照度の問題もあり、16Vと同様の外側が大きいタイプだったのだ。普通の車のようにショールームに並ぶようなこともなく、売れていた車だったから、実車を確認することなどできなかったのだ。これにはかなりのショックを受けた。今でこそデルタのパーツはオークションを含めて、かなりの量が流通しているが、当時はショップも少なく、デルタのパーツは非常に高価であった。

頼みの綱はネットか雑誌だったので、当時普及し始めたインターネットを利用して、早々に本国仕様に交換をした。ちなみにこのころの接続は超ナローな電話回線接続。640×480ピクセルなんていう画像をアップしようものならビータラ文句を言われた時代だった。月々の回線使用料の支払いは多いときで6万円にもなったことがあり、まさにデルタのために働く時代がしばらく続いた。

さて、インターネットの話題が出たところで、本題とは反れるが、ライトを購入した時期と同じくしてワシがWebページを立ち上げるきっかけとなった巨匠の話を書かないわけにはいかないだろう。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 16:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(3)

納車当日、デルタに乗り込んだところまでを書いたが、1992年のデルタ生産中止の話を少ししておこう。ワシが乗っているデルタはエボルツォーネ(通称EVO1)である。おそらく1992年限りの生産だったと思うが、納車されたのは1993年の8月である。じつはこの10ヶ月の間に大事件が起こっていたのだ! そう、オーナーさんならご存知のとおり、生産中止になるはずが、EVOIIというロードカーとして進化したモデルをランチアが発表したのである。これには参った、詐欺にあった気持ちになった。おそらく今の時代では許されないことだろう、、、。

さらにだ! ワシのデルタが納車されてから数ヵ月後にジアラという黄色のボディーを纏った限定車が発表される。世の中は黄色い車が流行りかけのころで、かなり話題になった。これで最後だろうと思っていたら、1995年にはファイナルエディションとしてコレッツィオーネが発表される。さすがにイタリア人も「ファイナルエディション」とまで謳って、もう次はないだろうと、本当の生産終了であることをワシは悟った。

前置きが長くなってしまったが、納車の続きを書こう。
辺りはすっかり暗くなり、高井戸まで緊張のドライブとなるので、灯火類のスイッチを確認していた。「フォグランプがここで、ハザードがこれで・・・」と、ふとセンターコンソールに目をやると、集中警告灯のランプが点灯している。「なんだぁ?」と車外へ出てフロントを確認すると、スモールランプが点いていない・・・さすがはイタリアンジョブ(^ ^; 新車でスモールランプが切れるかよ~

もしもその場にイタリア人がいたら、きっと両手を広げてこう言うだろう「すばらしい性能の警告灯だ!」

ワシにはわからないくらいなレベルの室内からの「音消し」やワシには見つけることすらできない「塗装のヘアクラック」をPDI(新車整備)で修正している会社に勤めていた当時には考えられない事態だった。13年連れ添った今では十分想定内の出来事ですがね。(爆) (つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 02:55 | コメント(3)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(2)

前回は松本からすっ飛んで帰るところまでを書いたが、当時のヤナセグループの営業車はゴルフかジェッタだった。ワシが生まれて初めて運転した左ハンドルの外車だ!毎朝新入社員が点検、洗車をするしきたりがあったので確か69-73というナンバーのジェッタだったと記憶しているが、こいつが長距離をぶっ飛ばしたあと、イグニッションをオフにすると、たまに再始動できなくなるという持病を持っていた。そんなこともありサービスエリアでのトイレ休憩もしなかった。手を洗う時間も惜しいくらいだった。

そうそう、話はそれるが1993年は弾けたバブルの余韻もあって、新卒のぺーぺーが外車で都内を営業、そして庶民には高すぎた携帯電話も持たせてもらっていた。そんな良い時代だった・・・確か加入時の保証金が20万円、新規加入料が8万円、月々の基本使用料が3万6千円くらいだった。毎月の会議で1台あたり9万円を超える請求が来ていた報告を聞いた記憶がある。なんともバブリーなお話(^ ^;

話を元に戻し、国立府中のインターを降りるころには、あたりは薄暗くなっていた。彼女の会社に到着すると、夕暮れにピカピカに光る赤いデルタが正面に止まっていた。このときの感動は今でも忘れない。

納車にワシが立ち会えなかったので営業マンにとって晴れ舞台である儀式の操作説明もできなかったD氏は、さっさと地元へ帰っていた。当時の国産ディーラーの営業さんは、携帯電話など持っていなかった。もちろんポケットベルが全盛の時代だもん(^ ^;

彼女に挨拶をすることも忘れ、「邪魔だけど怖くて動かせなかった」と声を掛けられるまでデルタを舐めるように見入っていた。鍵をもらってレカロのシートに座り込み、サザンオールスターズのエロティカセブンがヒットしていた真夏の暑い夜に、外車特有の新車の匂いに酔っていた。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 01:43 | コメント(4)| トラックバック(0)

デルタ納車の日(1)

せっかくブログも再開したのでデルタのことを少し書き綴ろうと思う。こうやって定期的にこの車のことを書いてモチベーションを維持しているのも事実だ(苦笑) 13年も前の話なのにすらすらと書けるほどいろいろなことを覚えている。

馴れ初めはプロフィールやWebのほうでも書いているので13年前の納車にさかのぼる。

デルタの前に乗っていたFC3S∞(アンフィニ)を下取りに出した関係で、1992年の2月に当時のランチアディーラーでもあったオートザムにオーダーを入れてから10ヶ月が経過していた。知り合いの営業マンであったD氏に毎月電話を入れて、まだかまだかの催促をしたもんだ。D氏は数年後に心筋梗塞でこの世を去ってしまったことも今となっては遠い昔の話に思える。

新車から乗っているデルタオーナーの方はうなずくだろうが、1992年に生産中止の発表もあって「デルタはいま手に入れなければ新車で乗れない!」という緊迫感があった。
今では信じられないだろうが「色なんかなんでもいい!」「内装の色?あるやつなら何でもいい・・・」そんなオーダーをした。とくに田舎のディーラーだったので本当か嘘か割り当ては2台だけだったことを記憶している。ボディー色が赤であることを聞かされたのは何ヶ月も先のことだった。

港に到着したよ!と一報があってからどれだけ長く感じただろうか、通関とか新車整備という手続きをこれほど恨んだことは無い。1993年8月31日、待ちに待った納車の日がやってきた。当時ワシは27歳、下高井戸のマンションを借りて、ヤナセの芝浦本社の事務所に勤務をしていた。当日は仕事も手につかなかったが、どうしても急に松本へ出張に行かなければならず、夕方の納車に立ち会えない。なんという不運だろう・・・

当時は結婚していなかったが、彼女(今の嫁)が勤めていた国立市にある会社へ納車してくれと頼んだ。東京から100kmも離れたディーラーからわざわざ練馬陸運支局に出向いてナンバーを取得して、国立まで届けてくれた。夕方の4時に仕事を終えたワシは、それはもうノンストップで松本からすっ飛んで帰った。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 00:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

トリノオリンピック記念

クリスマスプレゼントに贈った任天堂DSに夢中な子供たちに、少しは違う趣味のきっかけを・・・と、860円ずつ投資したトリノオリンピック記念切手が届いた。モナコ王国発行の代物である。半分はワシが欲しかったこともありますけどね(^ ^;



息子は「帽子を集めているから・・・」と案の定、親が押し付ける趣味に対してやや拒絶反応。そんな趣味があったっけ?とデルタカップでもらった帽子やら、MARTINIロゴの入ったワシの帽子の行方が不安になったので確認すると、全部息子の部屋の壁に掛けられていた。こりゃだめだ・・・。

娘は学校からそのまま英語教室に行っているから、帰ってきたらお伺いをたててみよう(爆) 結局、ワシは子供たちと共通の趣味が欲しかっただけみたいです。車ばかり弄っていると、子供たちと距離ができちゃうんですよ、きをつけないと気づいたときには「臭い」「ウザイ」「キモイ」とか言われているんじゃ悲しい。

その他 | 投稿者 kimkim 16:39 | コメント(8)| トラックバック(0)

洗車してみました。

愛車デルタと違って、ボルボのほうは自分で手洗いなどしたことがほとんどない。たぶん9:1くらいの割合だ。趣味車とビジネスユースの車ではこれほどまでに扱いが違うのか・・・と自分でも思う。デルタのほうは購入してから一度も洗車機に入れたことがない。明日は客人を迎えに行かねばならず、いつものようにスタンドへ行ったが、洗車機が不調で修理中だった。しかたがないので自宅で手洗い洗車をした。6年間で3回目くらいだと思う。

軽く水洗いをして、ここのところデルタに使用しているBLISSを使ってみた。水滴が残っている状態でスポンジで延ばしながら撒布する。余分な成分を洗い流すためにもう一度水で洗い流して拭き取っておしまいなのである。なんとも簡単だが、これほどまでに効果がわかるケミカル商品も珍しい。6年間を露天で過ごしたボルボの塗装面でも、はっきりと効果が得られた。

マイナーチェンジ前のS-80はナシ地のバンパーモールなので、経年で白濁してくるのがお約束。だからBLISSの効果が一番良くわかる個所でもある。写真のとおり、黒くなって拭き取る前の段階で違いが出てくる。洗車したあとのボンネットやルーフは、空と周囲の景色を写し込んだパレットのようです。

VOLVO | 投稿者 kimkim 16:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

Euro Training 走行会



ブチさんである。日ごろお世話になっているB'sガレージの社長である。数年前にはAGFのCMで三國連太郎さんのドライブするポルシェ356の助手席に座って高笑いをしていたのである。(^ ^;

さて、そんなブチさんからお誘いを受けたのでこのブログでもエントリーをお誘いしちゃいます。ワシも極力参加する方向で調整中。走行会の詳細はこちらから。
サーキット・走行会 | 投稿者 kimkim 21:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

シンプソンのマウス

不注意でシンプソンのマウスを落下させてしまった・・・。「バキッ!」という嫌な音とともにホイールを支えている軸が折れてしまった~。軸はプラスチック樹脂でできているから、テーブルの上くらいの高さから落ちて運悪くホイール部分を強打すると、まず100%折れちゃうだろう。

蓋を開けて構造をチェックしてみると、修理ができそうであったのでさっそく取り掛かる。まず、裁縫用の針をライターで熱し、折れた軸の付け根に穴を開けてやった。軸の片方が挿入されるベアリング状の部分の穴に通過する小さく細いビスを探すのに苦労したが、息子の玩具から1本拝借した。すまん!



意外と簡単な修理だったですよ。

その他 | 投稿者 kimkim 19:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

忌まわしき事実・・・

本家サイトをご覧いただいている皆さんはご存知の方も多いと思いますが、我がデルタは1993年の8月に納車されてから3回の大事故に見舞われている。

まずは1994年の6月だった。多摩市のとある場所でうちの嫁が運転していたところ、未成年の大学生が運転するワンボックスカーにオカマを掘られ、全治10ヶ月の大修理。リアゲートがグシャグシャでルーフまで歪んだ。新車から1年も経過していなかったからショックだった・・・。当時はWebなんて運営していなかったし、事故の写真をネタにしようなんて思うほどの余裕も無かった。過失割合100:0

次が1998年の6月だった。三鷹市のとある交差点で携帯電話で話しながら右折してきた会社員と交差点でクラッシュ! 右フロント部を大破した。過失割合80:20


お次は2002年の6月。大通りを気持ちよく自宅へ向かう途中で、側道から飛び出してきたクラウンの横っ腹へまともに突撃。フロント部を大破!廃車にしようかと真剣に考えるほどのダメージだった。過失割合80:20


さて、この過去のデータからすると忌まわしき事態が予想されるのは2006年の6月・・・そう、今年なのである。偶然という言葉では簡単に片付けられないこの事実。今年は何があっても6月はデルタに乗りません!



デルタ | 投稿者 kimkim 05:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

はは~ん

ブログを再開してからすでにアクセスが1000件を超えている! 同時表示にしたことにより本家サイトへのアクセスも4割くらい増えたかな?恐るべしブログ・・・。

アクセス解析をしていて気がついたのだが、ホビダス(ネコパブリッシング)のページから来訪者が多いことに気がついた。なんでだろう?と思って調べたら、新着記事が掲載されるシステムだったのね(^ ^; いやはや・・・あまりいい加減なことは書けませんなぁ~。少し緊張してしまいました。



その他 | 投稿者 kimkim 03:04 | コメント(0)| トラックバック(0)

エントリーを開始しています。

デルタカップ2006年シーズンの第1戦が4月29日(祝)に開催のFIAT FESTA内にて行われるMGT(マッシモGT選手権)を皮切りに始まります。

すでにエントリーの受付を開始していますのでお早めにお申し込みください。詳細はこちらから。




DELTA CUP | 投稿者 kimkim 21:05 | コメント(0)| トラックバック(0)

コーティングの効果抜群?

本家サイトのほうで書いた洗車してお気軽コーティングのBLISSの効果なのか、ほったらかしにしているデルタに埃が積もらない。ガレージは完全な個室ではなく、風が強い日はかなり吹き込むので、埃だらけになる。



静電気が帯電しなくなったのか、はたまた塗装面がツルツルになったので埃が飛んでしまうのか・・・まぁ、いずれにしてもありがたいことである。
デルタ | 投稿者 kimkim 17:03 | コメント(3)| トラックバック(0)

これは運命か?

アストンマーティンの話題を書いたら、こんな田舎なのに偶然にも本屋の前でヴァンキッシュを発見!
神様って意地悪だ・・・


車ネタ | 投稿者 kimkim 16:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

いま最も気になる車

せっかくブログをはじめたんだから車ネタは幅広く書いていきたいと思う。

じつはメジャーなメーカーの車での話だが、ワシは英国車にだけ乗ったことが無い。MINIやローバーを所有してみるチャンスはあったが、その当時は2CVに乗っていたり、ランチア・デドラを所有していたりした。
さて、今一番気になる車はフェラーリでもなくランボルギーニでもなく、アストンマーティンなのだ・・・。ヴァンキッシュというモデルをご存知だと思うが、なんともいえないかっこよさ。

あまりにカッコいいのでいろいろ調べてみたが、ワシごときが乗る車ではない。以前、何かの記事で読んだことがあるが、内装にダンヒルバージョンやヴィトンバージョンが存在するらしい。もちろんセレブな方々のスペシャルオーダーだとは思うが・・・。
車ネタ | 投稿者 kimkim 03:48 | コメント(4)| トラックバック(0)

もうすぐ10万キロ



98,000kmを超えて、いよいよS80も10万キロの大台に乗ろうとしている。デルタのほうはすでに14万5千キロを走っている。昨年末にエアフロ周辺と、トラクションコントロール関係の修理に30万円ほどかかったが、ほかはこれといってトラブルもない。まぁ、14万キロも走ったイタリア車と比べてはボルボに失礼だが・・・。

細かいところを思い出せばいろいろあることはある。先日もオイルレベルゲージの持つところがポッキリと折れてしまった。こんなものはデルタのエンジントルクロッドが折れたときに比べればなんでもない。可愛いものである。

まぁ、6年で10万キロだろうからたいした走行ペースではないと思うがとにかくよく走ってくれる。リアのストラット周辺からゴトゴト音が激しくなってきたので、そろそろショックの交換でもしてやりましょうかね。

VOLVO | 投稿者 kimkim 15:53 | コメント(0)| トラックバック(0)

WebページとBLOGの同時表示

今日からブログとWebページを同時に表示してみる。ますます重くなっちゃってすみませんm(_ _)m 古いほうのブログはデザインに制限があるので辞めました(^ ^; リンクいただいている皆さんには別ページでご案内しないとなぁ~
その他 | 投稿者 kimkim 20:03 | コメント(4)| トラックバック(0)
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