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デルタ納車の日(5)

本当は3編くらいで終わらせようと思っていたが、早くも5編である。書いているうちにいろいろなことを思い出すから、タイトルから外れた話が多くなってしまってます。

さて、デルタといえばインターネットの普及とともに、さまざまなクラブやメーリングリストが立ち上がったことで有名だ。まさにインターネット普及時代を象徴するような活発さだった。前編で書いたとおり、謎が多い車のわりに情報量が少なかった。そんな時代にいち早く16Vを購入していて、Webページを運営していた方が登場する。いや、登場するというのは正しくないかな、、、探し当てたという表現が適切だろう。正確にはMG-Bと2CVも当時は所有していて、2CVの方面でのほうが有名だったのかもしれない。

Min^2氏というハンドルネームをご存知だろうか? ワシにとっては永遠の師匠である。デルタのことに関する情報からWebのデザイン、CGIの設置まで、本当にいろいろなことを伝授していただいた。今もワシのWebに置いているチャットと、デルタオーナーズマップは師が残してくださった産物だ。言葉を飾らない氏は誤解を受けたりして、ネット上では波乱を生んだこともあったが、デルタを売却してネット上から去るまで、本当にお世話になった。1998年の事故をきっかけにB'sガレージさんへ出入りをするようになり、氏と初めて顔をあわせたが、毎日ネットで書き込みをしていたので始めて会った気がしなかったのを良く覚えている。そうそう、2CVを求めて豊橋まで氏のドライブする2CVで行ったこともあった。



納車の話からますます遠ざかるばかりだが、時をほぼ同じくしてDML(デルタメーリングリスト)というものが立ち上がっていた。今でもLDMLという名前でMLが残っているが、当時は多いときで1日で100通を超える投稿があった。同じ車なのに「個体差」というものがある車なんだということを認識した時期でもあった。いやはや毎日が楽しくてしかたがなかった時代でした。この時代に多くの時間をともに過ごしたB'sガレージ6人衆の話はいずれ書くことにして、そろそろ納車のお話に戻りましょう。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 18:04 | コメント(2) | トラックバック(0)

デルタ納車の日(4)

さて、そんなイタリアンジョブの洗礼を受け、担当営業マンのいない納車であったが、それはそれで良かった。今で言う萌え系の方たちに勝るとも劣らない怪しい行為が思う存分できたからだ。ステアリングに頬ずりし、ひたすらシートのアルカンタラ(人工革皮)をなでてみたりした。おそらく独り言とはいえない、明らかにデルタに語りかける行為をしていた。

ファーストコンタクトの興奮が落ち着くまで1時間以上が経過していたと思う。何度も室内と外を行ったり来たりしているうちに、ふと何かが違うことに気がついた。今でもそう思うが、デルタは左斜め前か左斜め後ろから見た姿がブリスターフェンダーのラインがもっとも強調されて美しい。右斜めからとは何が違うのか?
それは当時としては珍しかった丸型のフューエルキャップが視界に入らないからだ。EVOIのそれはダミーみたいなものだったが、コンペティションな雰囲気を演出するアイテムだった。EVOIIからはアルミリングに変わり、いっそうコンペティションな雰囲気をかもし出す。それがまたいっそう憎たらしかった(笑)

違ったのはそんなことではなく顔つきだった。D氏からもらったカタログは写真のものであったが、舞い上がった頭でカタログと実車を見比べて、この写真と納められたデルタの何が違うのかに気づくまで、相当の時間が経過した。デルタといえばWRCを走るワークスデルタのイメージがいつも頭にあったことが、余計に混乱を招いた。




答えはこれであった。そう、ライトだ! 本国仕様のライトは外側と内側が同径だが、ディーラーが売る日本仕様は規制緩和前の登録時の照度の問題もあり、16Vと同様の外側が大きいタイプだったのだ。普通の車のようにショールームに並ぶようなこともなく、売れていた車だったから、実車を確認することなどできなかったのだ。これにはかなりのショックを受けた。今でこそデルタのパーツはオークションを含めて、かなりの量が流通しているが、当時はショップも少なく、デルタのパーツは非常に高価であった。

頼みの綱はネットか雑誌だったので、当時普及し始めたインターネットを利用して、早々に本国仕様に交換をした。ちなみにこのころの接続は超ナローな電話回線接続。640×480ピクセルなんていう画像をアップしようものならビータラ文句を言われた時代だった。月々の回線使用料の支払いは多いときで6万円にもなったことがあり、まさにデルタのために働く時代がしばらく続いた。

さて、インターネットの話題が出たところで、本題とは反れるが、ライトを購入した時期と同じくしてワシがWebページを立ち上げるきっかけとなった巨匠の話を書かないわけにはいかないだろう。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 16:14 | コメント(0) | トラックバック(0)

デルタ納車の日(3)

納車当日、デルタに乗り込んだところまでを書いたが、1992年のデルタ生産中止の話を少ししておこう。ワシが乗っているデルタはエボルツォーネ(通称EVO1)である。おそらく1992年限りの生産だったと思うが、納車されたのは1993年の8月である。じつはこの10ヶ月の間に大事件が起こっていたのだ! そう、オーナーさんならご存知のとおり、生産中止になるはずが、EVOIIというロードカーとして進化したモデルをランチアが発表したのである。これには参った、詐欺にあった気持ちになった。おそらく今の時代では許されないことだろう、、、。

さらにだ! ワシのデルタが納車されてから数ヵ月後にジアラという黄色のボディーを纏った限定車が発表される。世の中は黄色い車が流行りかけのころで、かなり話題になった。これで最後だろうと思っていたら、1995年にはファイナルエディションとしてコレッツィオーネが発表される。さすがにイタリア人も「ファイナルエディション」とまで謳って、もう次はないだろうと、本当の生産終了であることをワシは悟った。

前置きが長くなってしまったが、納車の続きを書こう。
辺りはすっかり暗くなり、高井戸まで緊張のドライブとなるので、灯火類のスイッチを確認していた。「フォグランプがここで、ハザードがこれで・・・」と、ふとセンターコンソールに目をやると、集中警告灯のランプが点灯している。「なんだぁ?」と車外へ出てフロントを確認すると、スモールランプが点いていない・・・さすがはイタリアンジョブ(^ ^; 新車でスモールランプが切れるかよ~

もしもその場にイタリア人がいたら、きっと両手を広げてこう言うだろう「すばらしい性能の警告灯だ!」

ワシにはわからないくらいなレベルの室内からの「音消し」やワシには見つけることすらできない「塗装のヘアクラック」をPDI(新車整備)で修正している会社に勤めていた当時には考えられない事態だった。13年連れ添った今では十分想定内の出来事ですがね。(爆) (つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 02:55 | コメント(3) | トラックバック(0)

デルタ納車の日(2)

前回は松本からすっ飛んで帰るところまでを書いたが、当時のヤナセグループの営業車はゴルフかジェッタだった。ワシが生まれて初めて運転した左ハンドルの外車だ!毎朝新入社員が点検、洗車をするしきたりがあったので確か69-73というナンバーのジェッタだったと記憶しているが、こいつが長距離をぶっ飛ばしたあと、イグニッションをオフにすると、たまに再始動できなくなるという持病を持っていた。そんなこともありサービスエリアでのトイレ休憩もしなかった。手を洗う時間も惜しいくらいだった。

そうそう、話はそれるが1993年は弾けたバブルの余韻もあって、新卒のぺーぺーが外車で都内を営業、そして庶民には高すぎた携帯電話も持たせてもらっていた。そんな良い時代だった・・・確か加入時の保証金が20万円、新規加入料が8万円、月々の基本使用料が3万6千円くらいだった。毎月の会議で1台あたり9万円を超える請求が来ていた報告を聞いた記憶がある。なんともバブリーなお話(^ ^;

話を元に戻し、国立府中のインターを降りるころには、あたりは薄暗くなっていた。彼女の会社に到着すると、夕暮れにピカピカに光る赤いデルタが正面に止まっていた。このときの感動は今でも忘れない。

納車にワシが立ち会えなかったので営業マンにとって晴れ舞台である儀式の操作説明もできなかったD氏は、さっさと地元へ帰っていた。当時の国産ディーラーの営業さんは、携帯電話など持っていなかった。もちろんポケットベルが全盛の時代だもん(^ ^;

彼女に挨拶をすることも忘れ、「邪魔だけど怖くて動かせなかった」と声を掛けられるまでデルタを舐めるように見入っていた。鍵をもらってレカロのシートに座り込み、サザンオールスターズのエロティカセブンがヒットしていた真夏の暑い夜に、外車特有の新車の匂いに酔っていた。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 01:43 | コメント(4) | トラックバック(0)

デルタ納車の日(1)

せっかくブログも再開したのでデルタのことを少し書き綴ろうと思う。こうやって定期的にこの車のことを書いてモチベーションを維持しているのも事実だ(苦笑) 13年も前の話なのにすらすらと書けるほどいろいろなことを覚えている。

馴れ初めはプロフィールやWebのほうでも書いているので13年前の納車にさかのぼる。

デルタの前に乗っていたFC3S∞(アンフィニ)を下取りに出した関係で、1992年の2月に当時のランチアディーラーでもあったオートザムにオーダーを入れてから10ヶ月が経過していた。知り合いの営業マンであったD氏に毎月電話を入れて、まだかまだかの催促をしたもんだ。D氏は数年後に心筋梗塞でこの世を去ってしまったことも今となっては遠い昔の話に思える。

新車から乗っているデルタオーナーの方はうなずくだろうが、1992年に生産中止の発表もあって「デルタはいま手に入れなければ新車で乗れない!」という緊迫感があった。
今では信じられないだろうが「色なんかなんでもいい!」「内装の色?あるやつなら何でもいい・・・」そんなオーダーをした。とくに田舎のディーラーだったので本当か嘘か割り当ては2台だけだったことを記憶している。ボディー色が赤であることを聞かされたのは何ヶ月も先のことだった。

港に到着したよ!と一報があってからどれだけ長く感じただろうか、通関とか新車整備という手続きをこれほど恨んだことは無い。1993年8月31日、待ちに待った納車の日がやってきた。当時ワシは27歳、下高井戸のマンションを借りて、ヤナセの芝浦本社の事務所に勤務をしていた。当日は仕事も手につかなかったが、どうしても急に松本へ出張に行かなければならず、夕方の納車に立ち会えない。なんという不運だろう・・・

当時は結婚していなかったが、彼女(今の嫁)が勤めていた国立市にある会社へ納車してくれと頼んだ。東京から100kmも離れたディーラーからわざわざ練馬陸運支局に出向いてナンバーを取得して、国立まで届けてくれた。夕方の4時に仕事を終えたワシは、それはもうノンストップで松本からすっ飛んで帰った。(つづく)
デルタ | 投稿者 kimkim 00:36 | コメント(0) | トラックバック(0)
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