2006年09月11日
2006年09月09日
最近増えたもの
とにかく駐車禁止で切符を切られるほど悔しくてアホらしいものはない。悪いことは悪いで認めるが、「なんで俺だけ?」と、ついつい思ってしまうのである。ということで、最近は車の中にこのゴミが散乱することが多くなってきた。いちいち会社で精算するのが面倒なんだよね(^ ^;
2006年08月30日
6年の耐久性
今朝、会社へ行こうとボルボのイグニッションをひねると、なんとなく重たい感じがした。朝イチで会議を済ませ、出かけようとしたらセルが回らない・・・。バッテリーがお亡くなりになった。
ワシのS80は2000年モデルの初期型だから、6年も仕事をしてくれた。冬場は極寒のスキー場、夏場は盆地の炎天下でエアコンかけっぱなしと、デルタと違って全然気を使わないから、かなりの酷使をしていただろうに、、、。やはりトランクルームにバッテリーがあるのは良いことらしい。
話は変わるが、知り合いのミニが路上エンコしたので救出に出向いた。ワシではどうにもできないので会社のメカニックを呼んだらやっぱり昔の人間は違う・・・。牽引するかローダーでも呼ぶのかと思いきや、ギアを入れた状態でセルを回し、そのまま会社まで走っていった(^ ^; なんとも荒業である。原因はクラッチマスターからのパイプが折れてしまったことによるオイルダダ漏れ。部品を手配しようとあちこち電話するも、田舎ではなかなか見つからない。関東近辺のミニ専門店に電話するも、なぜか水曜日定休なショップが多くていまだ手配には至らない(^ ^;
ワシのS80は2000年モデルの初期型だから、6年も仕事をしてくれた。冬場は極寒のスキー場、夏場は盆地の炎天下でエアコンかけっぱなしと、デルタと違って全然気を使わないから、かなりの酷使をしていただろうに、、、。やはりトランクルームにバッテリーがあるのは良いことらしい。
話は変わるが、知り合いのミニが路上エンコしたので救出に出向いた。ワシではどうにもできないので会社のメカニックを呼んだらやっぱり昔の人間は違う・・・。牽引するかローダーでも呼ぶのかと思いきや、ギアを入れた状態でセルを回し、そのまま会社まで走っていった(^ ^; なんとも荒業である。原因はクラッチマスターからのパイプが折れてしまったことによるオイルダダ漏れ。部品を手配しようとあちこち電話するも、田舎ではなかなか見つからない。関東近辺のミニ専門店に電話するも、なぜか水曜日定休なショップが多くていまだ手配には至らない(^ ^;
2006年08月30日
ゴルフワゴンがやってきた!
我が家にゴルフワゴンがやってきた。とは言っても妹の車で、4万キロ走った2001年モデルだ。車好きの兄貴に相談もせずに何事だ!と、言いたいところだが、相談されてもワシも同じチョイスをしただろう、、。これで我が家族の車は全部外車になった。
2006年07月31日
エンツォのパープル
あれよあれよという間に7月も終わり。遅い梅雨明けもして、デルタオーナーにとっては厳しい季節となりました。8月といえば14日はエンツォ・フェラーリの命日であります。まぁ、毎年同じことを書いていますが・・・。
ちょっと前にエンツォフェラーリが使用していたパープルの万年筆用のインクが届いた。10数年来愛用しているちょっとバブリーなDUNHILLの万年筆(^ ^; もちろんワシのセンスではない(笑) 贈り物でいただいたのである。
会社の業務はまだまだ捺印が中心となるが、執筆した原稿や手紙などには極力サインをするようにしている。ハンコって誰が押したのかわかんないもんね。うちの会社でもほとんどの捺印業務はワシか経理部長がやってます(^ ^; まぁ、なんとなく冷たい感じがするハンコの代わりに、エンツォのパープルでサインをしたほうが、「本当に見てるぞ!」というプレッシャーを与えるようだ。
まぁ、大概の人は「そこいらへんのサインペンで書いたな!」と紫色の字を見て思うだけでしょう。
会社の業務はまだまだ捺印が中心となるが、執筆した原稿や手紙などには極力サインをするようにしている。ハンコって誰が押したのかわかんないもんね。うちの会社でもほとんどの捺印業務はワシか経理部長がやってます(^ ^; まぁ、なんとなく冷たい感じがするハンコの代わりに、エンツォのパープルでサインをしたほうが、「本当に見てるぞ!」というプレッシャーを与えるようだ。
まぁ、大概の人は「そこいらへんのサインペンで書いたな!」と紫色の字を見て思うだけでしょう。
2006年06月27日
効果抜群のようです
そういえば先日の中央道で御用になった日の都内は、路上駐車の台数がほとんど無くて、すばらしい効率で走ることができた。景観が変わったようにさえ思えた。
駐禁の取締りが民間委託されてはや1ヶ月、安全とスピードが一気に解決したんじゃないのかな。平均スピードは上がったけど(^ ^;
駐禁の取締りが民間委託されてはや1ヶ月、安全とスピードが一気に解決したんじゃないのかな。平均スピードは上がったけど(^ ^;
2006年06月25日
皮肉なことに・・・
今日は所用で都内に出かけたのだが、帰り道の中央道でやられました・・・(泣) あまりにもやかましいレーダー探知機をサイレントモードにして家路を急いでいると、後ろでパッシングしてくる車が!
おまけにルーフでチャカチャカと光る赤いもの・・・(^ ^; 高速バス停に止められてお説教。通行区分帯違反ちゅうやつで1点の罰金6000円なり。真相は書かないようにしときます(苦笑) しかし、レーダー探知機を装備した途端に御用とは、なんとも皮肉かな。
おまけにルーフでチャカチャカと光る赤いもの・・・(^ ^; 高速バス停に止められてお説教。通行区分帯違反ちゅうやつで1点の罰金6000円なり。真相は書かないようにしときます(苦笑) しかし、レーダー探知機を装備した途端に御用とは、なんとも皮肉かな。
2006年06月24日
2006年05月31日
GOGO! トゥデイ
ごまかしながらしのいできたボルボが105,000kmを突破したところで音をあげた、、、。というよりワシが耐えられなくなったというほうが適切かな(^ ^;
客人を乗せての移動が多いのに、リア周りからゴトゴト音がすさまじいし、デルタのお約束だと思っていたエアコンが利かなくなるという不具合がボルボ君にも発生した。12ヶ月点検も兼ねて、悪いところ出しをしてもらったら、エンジンマウントは裂けて跡形もなくなっているわ、タイミングベルトの交換時期だことのロアアームのブッシュがダメだの出るわ出るわ・・・(滝汗) 総額40万円である。10万キロを超えて一気にやってきました。でもまぁタイミングベルトの交換は、工賃も含めて3万円くらいだったなぁ~
とにかくそんな大金を黙って修理して、いきなり経理の部長が辞めてしまっては困るので(爆)オイル交換とリアのスタビライザーボールジョイントだけ交換してもらって車を一旦引き上げた。自分で言うのもなんだが、多少は冷たい風が出ているので、エアコンホースの修理を後回しにしたところが、なんともデルタ乗りらしいところなんである(^ ^;
ということで、やっと本題のトゥデイの話になるわけだが、あいにくディーラーに代車が無かったので、会社の車を拝借した。久々の軽自動車である。朝の通勤で事務員に笑われたのはまぁいいとして、なんだよこのヤレタ内装は! いくら代車だからといって、もう少しマシな車じゃないとイカンな・・・と思った。反省すべきである(苦笑) これでも選択肢はあったのだが、オートマのアルトと、オートマのサンバーと、このマニュアルのトゥデイだったので、迷わずマニュアルを選んだ。早朝の空いた道を3速全開で突っ走るのも悪くは無い。走行距離のわりに、よく回るなぁ~と思ったら、エンジンは2機目だそうだ・・・納得。
客人を乗せての移動が多いのに、リア周りからゴトゴト音がすさまじいし、デルタのお約束だと思っていたエアコンが利かなくなるという不具合がボルボ君にも発生した。12ヶ月点検も兼ねて、悪いところ出しをしてもらったら、エンジンマウントは裂けて跡形もなくなっているわ、タイミングベルトの交換時期だことのロアアームのブッシュがダメだの出るわ出るわ・・・(滝汗) 総額40万円である。10万キロを超えて一気にやってきました。でもまぁタイミングベルトの交換は、工賃も含めて3万円くらいだったなぁ~
とにかくそんな大金を黙って修理して、いきなり経理の部長が辞めてしまっては困るので(爆)オイル交換とリアのスタビライザーボールジョイントだけ交換してもらって車を一旦引き上げた。自分で言うのもなんだが、多少は冷たい風が出ているので、エアコンホースの修理を後回しにしたところが、なんともデルタ乗りらしいところなんである(^ ^;
2006年05月20日
ジャパンヒストリックカーツアー
今日の夕方はすさまじい数の珍しい車たちが、ゼッケンを貼ってワシの地元を走り回っていた。3日間にわたって開催されるヒストリックカーツアーなのである。しかし、次々と現れる車を見ていたらら・・・なんでガヤルドが?(^ ^; と思っているとF360やらエンツォなど、最新のスーパーカーたちが続々と! これってもしかするとデルタでも出られるのか?(笑) 詳しくはこちらのBLOGにて
2006年05月15日
2006年04月30日
2006年04月23日
2006年04月04日
2006年04月04日
2006年03月30日
思い出の車
LANCIA社100周年にちなんで100連続ブログ更新に挑んで、はや45日。ここらで繋ぎに過去のネタを書いておかないと続きそうもありません。(^ ^; ということで、思い出の車シリーズ第一弾です。写真は8年も前のワシなのでかなり若いです。
2CVはご存知の方も多いですが、ワシの乗っていたチャールはすでに手元にありません。デルタが修理に入ることが多く、もう一台の趣味車として大活躍していた時期もあったのですが、当時はデルタとボルボとデドラと、この2CVで4台体勢だったから、正直なところ乗る車には困らなかった。デルタと違って、構造は簡単だったから、ほとんどのことは自分でメンテをしていたし、実際には壊れることがほとんど無かった。
デルタの維持と、サーキットを走るようになってから出費が多くなり、塗装の化粧直しも自分でやってみたりした。愛情は注いだけど、残念ながら手元に残すことはできなかった、、、。悔いが残る1台です。 余裕ができたらもう一度乗ってみたいです。 走りのほうはスポーツカーとは全く別次元のFUNな部分が多くて、最高の車ですよ。
2006年03月12日
おお!日本で2戦開催?
2006年03月07日
使わなかったモノ大賞
2005~2006年の冬シーズンで使わなかったモノ大賞って、今年はやっぱりこれでしょう。アイススクレーパーです。信越方面は大雪の被害も記憶に新しいですが、こちらはほとんど無し。寒い寒いといっても、たいしたことなかったんだなぁ~と思いますね。まぁ、4月1日に大雪だった年もありますので、まだまだどうかはわかりませんけどね。2006年02月25日
2006年02月23日
1994年といえば・・・
先日DTMの話を書いていたら、1994年のBTCCのことを思い出した。
いま思えばボルボさんは面白いことをしてくれた時代だったですね。1994年のBTCC(イギリスツーリングカー選手権)に850エステートレーシングで参戦してました。まぁ、成績は振るわずでしたがね。数年前にスウェーデンへ行ったときに、ボルボミュージアムで撮影した写真であります。フライングブリック(空飛ぶレンガ)はインターテックで登場した240ターボに付けられた呼称だったけど、この850エステートもそう呼ばれていましたよね? たぶん後ろにちょこっと写っているのが240ターボです。
ボルボの話しついでに、当日ミュージアムを案内してくれた爺様が話してくれたんだが、VOLVOというのはもともとベアリングメーカーであるSKFの商品名だったそうだ。意味は「転がり続ける」みたいなもんだ。英国の有名なロックグループ、ローリングストーンズの名前の由来と同じですな。まぁ、このへんは後で調べて知ったのだが、SKFがVOLVOの自動車製造に深く関与していた歴史を知れば不思議な話ではない。今はフォードだけど・・・。ワシのデルタにもSKFのスポンサーロゴが貼ってあるけど、本当はボルボに貼るとちょびっとエンスーっぽいかな(^ ^;
その爺様が話していた面白いネタがもうひとつ。昔のボルボのエンブレムは写真のような丸いやつがグリルに止められていたらしいのだが、あまりにも振動でポロポロ落ちてしまうので、今のようなグリルの上下を繋ぐような形になったそうだ。そう言われてみれば、ワシらがサーキットで灯火類に施したマスキングテープみたいで妙に納得できる。(^ ^; 写真は1965年ケニアラリーで優勝したPV544である。なんとも味のある形ですよね、、、。
2006年02月23日
1994年 横浜輸入車ショーにて
いやはや、今日は会議が長かった。
先日はアルファロメオ関連からDTMの話が少しだけ出たが、1994年の横浜輸入車ショー初日の出来事を思い出した。毎度のことながらDTMの話まで長くなりますがご了承ください。はじめに書いておきますが、赤いブレザーはワシのセンスではないです(^ ^; 以後、読んでいただければ、わかる方にはわかりますが・・・。
当時住んでいたマンションは、玄関を開けると首都高速4号線が目の前を通っている都会的?なところだった。その日はいつもと違う雰囲気で目が覚めた。普段なら騒々しい通勤ラッシュの騒音が聞こえないのである。朝から静かな都会は不気味であった。
玄関に向かいかけて嫌な予感がした。「玄関を開けるとそこは雪国だった」と、川端康成っぽく風流な気分に浸っている場合ではない。 今日は横浜輸入車ショーで仕事なのだから・・・。あたり一面真っ白である。
入社3年目のワシは焦った。前日に仕上がった大切な展示車両の諸元表を持っていかなければならないからだ。それも紙っぺらではなく、電車では運べないくらいのショー会場で組み立てる大きな物体だ。9時集合だったので、たぶん起きたのは7時ごろ。普通ならシャワーでも浴びて環八をデルタでビュイーンと楽勝で間に合う時間だが、雪ともなれば勝手が違う。ましてや都内には久しぶりの大雪であった・・・。前日に天気予報を見なかったのか、はたまた予報と外れていたのかについてはもはや記憶が定かではない。
交通情報を聞くまもなく慌てて支度をして、デルタの待つ駐車場へ向かった。すでに荷物は後部席を倒したデルタに収められていたが、タイヤがノーマルなのである。それでも道路はかろうじて黒い。なんとかなるだろうと若気の至りからか、はたまた遅刻して先輩たちに怒られるのが怖かったのか、暖機運転もそこそこにノーマルタイヤでデルタを走らせて、東名高速東京インターまでは順調だったけど、その先が大渋滞。第3京浜にたどり着くころには道路も真っ白。しかも港北ICから先は通行止めであった。んで、ワシの頭も真っ白。
少しでも時間を稼ぎたかったのでとりあえず第3京浜に載ったのはいいが、ポルシェは横になってるし、あちこちに車は乗り捨ててあるという大変な事態になっていた。港北ICで降りると、さらに悲惨な状況だった。緊張はクライマックスだ!
「パシフィコまで無事にたどり着けるのだろうか・・・」そんな不安もあったが、ここまできたら走るしかない。そんなこんなでノーマルタイヤのメルセデスがズルズルと落ちて来る新横浜の陸橋を、4駆の強みを見せつけつつクリアーし、東神奈川を抜けてなんとかパシフィコ横浜にたどり着いたのは11時だった。会場に入ると来場者はほとんどいない。こんな雪の日に当たり前だろう。さっさと諸元表を組み立て、来場者のほとんど居ない会場を探索した。

さて、長い長い前置きだったが、この写真はそのときのワンショットである。1992年のDTMでKlaus Ludwig(クラウス・ルドウィック)が宿敵ワークスBMWやAUDIを抑え、チャンピオンになった記念すべき車だ。1994年当時はシュナイダーやラリーニのほうが有名だったが・・・。
この会社に籍を置き、関西に住むジャイアンツファンのようなものだったが、デルタをWRC6連覇に導いたアバルトワークスから多くの技術者が移籍していたアルファコルセ155 V6 TIのファンだった。 しかし、この車のオーラには勝てるはずもなく、六本木のクラブのソファーに座り込むかのごとく乗り込んだ。今でこそオートバックスでも売っていて、我がデルタにも装着されているが、当時はステアリングを外してから乗り込むクイックリリースの儀式にさえ感動していた。 写真のワシはこれから行うであろうデルタの室内モディファイをどのようにするか、この車から学び取ろうとセンターパネルを目に焼き付けているのだと思う。 結局、この日はたいした来場者もなく、充実した試乗会のようであった。 ちなみに、ショー会場にデルタが置かれているのを見たのはこれが最後であった。もちろん、カタログを貰いましたよ~
先日はアルファロメオ関連からDTMの話が少しだけ出たが、1994年の横浜輸入車ショー初日の出来事を思い出した。毎度のことながらDTMの話まで長くなりますがご了承ください。はじめに書いておきますが、赤いブレザーはワシのセンスではないです(^ ^; 以後、読んでいただければ、わかる方にはわかりますが・・・。
当時住んでいたマンションは、玄関を開けると首都高速4号線が目の前を通っている都会的?なところだった。その日はいつもと違う雰囲気で目が覚めた。普段なら騒々しい通勤ラッシュの騒音が聞こえないのである。朝から静かな都会は不気味であった。
玄関に向かいかけて嫌な予感がした。「玄関を開けるとそこは雪国だった」と、川端康成っぽく風流な気分に浸っている場合ではない。 今日は横浜輸入車ショーで仕事なのだから・・・。あたり一面真っ白である。
入社3年目のワシは焦った。前日に仕上がった大切な展示車両の諸元表を持っていかなければならないからだ。それも紙っぺらではなく、電車では運べないくらいのショー会場で組み立てる大きな物体だ。9時集合だったので、たぶん起きたのは7時ごろ。普通ならシャワーでも浴びて環八をデルタでビュイーンと楽勝で間に合う時間だが、雪ともなれば勝手が違う。ましてや都内には久しぶりの大雪であった・・・。前日に天気予報を見なかったのか、はたまた予報と外れていたのかについてはもはや記憶が定かではない。
交通情報を聞くまもなく慌てて支度をして、デルタの待つ駐車場へ向かった。すでに荷物は後部席を倒したデルタに収められていたが、タイヤがノーマルなのである。それでも道路はかろうじて黒い。なんとかなるだろうと若気の至りからか、はたまた遅刻して先輩たちに怒られるのが怖かったのか、暖機運転もそこそこにノーマルタイヤでデルタを走らせて、東名高速東京インターまでは順調だったけど、その先が大渋滞。第3京浜にたどり着くころには道路も真っ白。しかも港北ICから先は通行止めであった。んで、ワシの頭も真っ白。
少しでも時間を稼ぎたかったのでとりあえず第3京浜に載ったのはいいが、ポルシェは横になってるし、あちこちに車は乗り捨ててあるという大変な事態になっていた。港北ICで降りると、さらに悲惨な状況だった。緊張はクライマックスだ!
「パシフィコまで無事にたどり着けるのだろうか・・・」そんな不安もあったが、ここまできたら走るしかない。そんなこんなでノーマルタイヤのメルセデスがズルズルと落ちて来る新横浜の陸橋を、4駆の強みを見せつけつつクリアーし、東神奈川を抜けてなんとかパシフィコ横浜にたどり着いたのは11時だった。会場に入ると来場者はほとんどいない。こんな雪の日に当たり前だろう。さっさと諸元表を組み立て、来場者のほとんど居ない会場を探索した。

さて、長い長い前置きだったが、この写真はそのときのワンショットである。1992年のDTMでKlaus Ludwig(クラウス・ルドウィック)が宿敵ワークスBMWやAUDIを抑え、チャンピオンになった記念すべき車だ。1994年当時はシュナイダーやラリーニのほうが有名だったが・・・。
この会社に籍を置き、関西に住むジャイアンツファンのようなものだったが、デルタをWRC6連覇に導いたアバルトワークスから多くの技術者が移籍していたアルファコルセ155 V6 TIのファンだった。 しかし、この車のオーラには勝てるはずもなく、六本木のクラブのソファーに座り込むかのごとく乗り込んだ。今でこそオートバックスでも売っていて、我がデルタにも装着されているが、当時はステアリングを外してから乗り込むクイックリリースの儀式にさえ感動していた。 写真のワシはこれから行うであろうデルタの室内モディファイをどのようにするか、この車から学び取ろうとセンターパネルを目に焼き付けているのだと思う。 結局、この日はたいした来場者もなく、充実した試乗会のようであった。 ちなみに、ショー会場にデルタが置かれているのを見たのはこれが最後であった。もちろん、カタログを貰いましたよ~
2006年02月22日
ENZOがぁ~!
2006年02月20日
われ5歳を振り返り思う・・・
はじめに書いておくがこの当時のワシには前歯が無い。神社の階段で転んで前歯を4本ともなくしてしまった。これは親父が帽子を深く被せすぎて、前が見えなくなって転んだのである。その顛末のあと、母方の祖母の家で親父がしこたま叱られていたのをよく覚えている。
さて、19年前に亡くなった祖父が運転していた縦目のメルセデスである。モデル名もわからないし当時5万円で購入したと言っていたが定かではない。ただ、それを裏付けるかのように、このメルセデスは数ヶ月で廃車になった。それはよく覚えている。とにかく前には乗るなと言われた。なぜならフロアが腐っていたからだ。
幼稚園の送り迎えによく来てもらったが、周囲の人には何処のお坊ちゃま?と思われていたらしい・・・5万円のベンツなのに。色も黒だったから、パッと見た感じはそう思われるただろう。印象に残っていることは、とにかくデカイ車だったということ。内装はグレーであったが、たぶんシートとかもボロボロだったのだろう。全てのシートに真っ白なカバーが取り付けられていた。
戦争で左腕を負傷して曲がってしまっていた爺さんは、クーラーが好きではなかったようで、冷えると痛んだらしい。それでもワシが暑い!というとクーラーをつけてくれた。これがまた恐ろしいほどよく効くので、まさに冷蔵庫のようだった。
このころ「ベンツ」という単語をはじめて覚えたに違いない。ちなみに爺様はベンツの後に水色のスバル360を乗り回していたが、子供心にあの車の良さがわかるはずも無く、ビニールのチープなシートに隠れるように乗っていた。子供が言うカッコいい車とは、大きさと色に影響されるのも、いまでは理解できる。もちろん、いま手元にスバル360があれば、間違いなくブログネタとして毎日乗り回すだろう。
そういえばこの話は数年前にランチア・デドラを5万円で買ったときに思い出した話だった。
2006年02月20日
ニューヨークの250LM
ブログを書き始めてから、当時のことを本当にいろいろ思い出す。
ホビダスのBLOGでニ玄社さんの話を書くのは心苦しいが、どうしても忘れられない番組があった。車の乗り方についてはかなり影響を受けた番組なのである。記憶が定かではないが、松任谷さんがF-40と959の乗り比べをして、すさまじい横Gに「僕もう耐えられないなぁ・・・」などと体当たりレポートをしていた数週前後だったと思う。
岡田さんという年配の方だったが、マンハッタンで粋なカーライフを送っておられる方の話だった。カーライフなどと軽々しいものではなかったかもしれない・・・2週にわたったその番組を見て、感動のあまり涙を流した覚えがある。
250LMといえば庶民にとっては年末ジャンボでも当たれば買える車だが、たとえ手に入れたとしても普段の足のように乗り回せるだろうか? 番組の中で氏の250LMが紹介されたが、あちこちが傷だらけであった。これまた記憶が薄れつつあるのだが、たぶんリアカウルはご自分で修理した痕跡がくっきりと浮き出るくらい。失礼な言い方をすれば「いいかげん」な補修であった。でもそれがやたらと粋で、かっこよかったんですよ。

ワシにとっては夢のまた夢のような250LMを粋に乗り回し「車はねぇ、乗っていなきゃ駄目なんだよ・・・」みたいな話を淡々と語る氏の言葉に心を打たれた。ワシも絶対にこういう車趣味人になろう!と誓った。数年後に、氏は他界されたと風の噂に聞いたのですが、ワシの心の中には永遠に残っている。
■これを書きながら「ニューヨーク・250LM」で検索をしたら、少しだけ画像が観られるサイト発見した。再放送されていたんですね・・・見られなくて残念。映像から補修していたのは右前フェンダーだとわかりましたが、あえて本文は修正しないことにした。
ホビダスのBLOGでニ玄社さんの話を書くのは心苦しいが、どうしても忘れられない番組があった。車の乗り方についてはかなり影響を受けた番組なのである。記憶が定かではないが、松任谷さんがF-40と959の乗り比べをして、すさまじい横Gに「僕もう耐えられないなぁ・・・」などと体当たりレポートをしていた数週前後だったと思う。
岡田さんという年配の方だったが、マンハッタンで粋なカーライフを送っておられる方の話だった。カーライフなどと軽々しいものではなかったかもしれない・・・2週にわたったその番組を見て、感動のあまり涙を流した覚えがある。
250LMといえば庶民にとっては年末ジャンボでも当たれば買える車だが、たとえ手に入れたとしても普段の足のように乗り回せるだろうか? 番組の中で氏の250LMが紹介されたが、あちこちが傷だらけであった。これまた記憶が薄れつつあるのだが、たぶんリアカウルはご自分で修理した痕跡がくっきりと浮き出るくらい。失礼な言い方をすれば「いいかげん」な補修であった。でもそれがやたらと粋で、かっこよかったんですよ。

ワシにとっては夢のまた夢のような250LMを粋に乗り回し「車はねぇ、乗っていなきゃ駄目なんだよ・・・」みたいな話を淡々と語る氏の言葉に心を打たれた。ワシも絶対にこういう車趣味人になろう!と誓った。数年後に、氏は他界されたと風の噂に聞いたのですが、ワシの心の中には永遠に残っている。
■これを書きながら「ニューヨーク・250LM」で検索をしたら、少しだけ画像が観られるサイト発見した。再放送されていたんですね・・・見られなくて残念。映像から補修していたのは右前フェンダーだとわかりましたが、あえて本文は修正しないことにした。
2006年02月20日
本のこと
ちなみにその他にはルーフベンチレーターが装着されている、ワイパーが16Vまでのもの、ミラーがカーボン製、フロントバンパーに埋め込まれた牽引用のフック、バンパーの縦格子がボディーと同色、フォグランプがブレーキダクトに、アンダーガード装着、HFマークがグリルに無い。
とにかく1990年代はデルタに関する雑誌とイタリア関係の書籍を買いまくった。CINZANOのほうが美味いとわかっていても、無理をしてMARTINIを飲んでいた時代でした。
2006年02月15日
これは運命か?
アストンマーティンの話題を書いたら、こんな田舎なのに偶然にも本屋の前でヴァンキッシュを発見!
神様って意地悪だ・・・

神様って意地悪だ・・・

2006年02月15日
いま最も気になる車
せっかくブログをはじめたんだから車ネタは幅広く書いていきたいと思う。
じつはメジャーなメーカーの車での話だが、ワシは英国車にだけ乗ったことが無い。MINIやローバーを所有してみるチャンスはあったが、その当時は2CVに乗っていたり、ランチア・デドラを所有していたりした。
さて、今一番気になる車はフェラーリでもなくランボルギーニでもなく、アストンマーティンなのだ・・・。ヴァンキッシュというモデルをご存知だと思うが、なんともいえないかっこよさ。
あまりにカッコいいのでいろいろ調べてみたが、ワシごときが乗る車ではない。以前、何かの記事で読んだことがあるが、内装にダンヒルバージョンやヴィトンバージョンが存在するらしい。もちろんセレブな方々のスペシャルオーダーだとは思うが・・・。
じつはメジャーなメーカーの車での話だが、ワシは英国車にだけ乗ったことが無い。MINIやローバーを所有してみるチャンスはあったが、その当時は2CVに乗っていたり、ランチア・デドラを所有していたりした。
さて、今一番気になる車はフェラーリでもなくランボルギーニでもなく、アストンマーティンなのだ・・・。ヴァンキッシュというモデルをご存知だと思うが、なんともいえないかっこよさ。

あまりにカッコいいのでいろいろ調べてみたが、ワシごときが乗る車ではない。以前、何かの記事で読んだことがあるが、内装にダンヒルバージョンやヴィトンバージョンが存在するらしい。もちろんセレブな方々のスペシャルオーダーだとは思うが・・・。
